遺稿詩集『雨あがり』小山しづ

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小山しづ年譜
(西暦)
昭和5(30)年11 熊本県高瀬町(現・玉名市)で繭糸問屋の父繁之、母エツの一人娘として誕生。
11(36)年4 熊本県玉名郡高瀬尋常小学校に入学。
17(42)年4 県立高瀬高等女学校(現・玉名高等学校)に入学。
20(45)年5 東京陸軍第二造兵廠(荒尾市在)に学徒動員。火薬製造作業に従事、一ヶ月後肺浸潤にて送還。8月、自宅療養中に終戦を迎える。
21(46)年3 県立高瀬高等女学校卒業。
22(47)年4 熊本県立熊本女子専門学校英文科入学。
25(50)年3 同校卒業。
6 上京、桜桃忌に参列。今官一氏宅に寄寓、アテネフランセに通う。
26(51)年4 早稲田大学第二文学部仏文科二年に編入学。小山書店などでアルバイトをする。
27(52)年11 養子縁組をして水谷義昭と結婚、杉並区高円寺にアパート住まい。
28(53)年10 肺結核のため関東中央病院に入院、約一年六ヶ月の間療養生活。
29(54)年2 早稲田大学第二文学部仏文科中退。
30(55)年5 関東中央病院退院。杉並区上高井戸に借家住まい。
31(56)年3 父繁之死去。
9 三鷹市牟礼に移る。
33(58)年2 長女由記誕生。
34(59)年3 母エツ郷里より上京、同居する。
37(62)年1 次女真理誕生。
39(64)年12 中野区立第四中学校に産休補助英語教諭として勤務。
40(65)年2 川崎市麻生区王禅寺に家を建てる。
4 新宿区立淀橋第二中学校に非常勤講師として勤務。
42(67)年3 同校退職。
9 日本青年海外協力隊訓練所に非常勤講師として英会話を教える。
43(68)年12 同訓練所退職。
45(70)年4 日本蚕糸事業団嘱託。海外文通処理事務を担当する。
47(72)年3 同事業団退職。
48(73)年4 慶応国際医学情報センター嘱託。医事資料翻訳を担当する。
51(76)年4 同センター退職。
5 社団法人日本ペンクラブ事務局に勤務。石川達三、高橋健二、井上靖、遠藤周作、四代の会長のもとで国際事務を担当する。
57(82)年3 夫義昭、都立広尾高校を最後に教職を辞す。
60(85)年7 遠藤会長に勧められて「宇宙棋院」の会員となり、囲碁に精励する。
62(87)年9 詩誌「アリゼ」同人となる。以降、同誌に詩作品を発表する。
64(89)年1 日本ペンクラブ事務局退職。
平成5(93)年7 5回目の最後の海外旅行、北欧に旅する。
1010 遠野への小旅行から戻る。
1016 劇症肝炎で急逝。
6(94)年10 遺稿詩集『雨あがり』上梓。